たまげた。
鳥たちがクリスマスホーリーの実を食べ尽くしていた。
それは食べてくれたらいいのだが、実は、この木の実は10月くらいにはなっていた。
でも、鳥たちはその時は食べなかった。
それから寒いからお出かけしたのかは知らないが、冬の間も全く食べる気配がなかった。
それで、この数日、鳥たちの声が朝聞こえるようになったのが数週間前だったのだが、それからすごい勢いで食べ出した。朝から鳥たち5羽から10羽くらい来て、窓を開けると逃げるのだが、他はずっとパクパクやっている。
今が1番うまいのかもしれない。
なぜかと言うと少しずつ実が枯れてきたからだ。
腐る直前が1番おいしい的な(ちなみに私は納豆は賞味期限切れて1週間経つくらいから食べ始める。今のところ大丈夫。だっておいしいから)。
鳥たちは実がこの時期が1番うまいというのを、本能で、あるいは直感で知っているのかもしれない。
それで思い出されるのはファーブルのことだ。ファーブルと言えばどの小学校の図書館にも置いてあるファーブル昆虫記の執筆者で、昆虫学の第一人者である。
ファーブルはハチ、特にアラメジガバチを通してその本能を解説している。
このハチは毒針を用いて獲物の筋肉に刺激を送る大元の神経中枢を刺す。まさに「最も高名な解剖学者もうらやむような巧妙さ」だと、ファーブルは感嘆した。その正確無比な動きは、どんな腕のいい解剖学者でも真似できないだろう。
ファーブルは「獲物についての正確な解剖学的知識が、ハチの針を導いている」(昆虫記第2巻)と記している。獲物を殺さずにその運動能力を奪う腕の良さ。その見事な麻酔技術は、進化して得られたものではなく、まさに本能によって備わったものだ。
ファーブルはハチは生まれながらの麻酔の達人であり、「本能は、獲得されたものではなく備わったものである」と言っている。
また、ファーブルは昆虫には理性がないと言っている。進化は理性によってなされるが、そうではなく、本能が昆虫の形を決め、本能が道具を使わせていると言う。
進化によってある時ハチが針を刺す技術を獲得したのではなく、本能としてその能力は備わっていたという。
この話を思い出した。
この鳥たちもある時この時期の実がおいしいことを発見したのではなく、本能としてそれを認識する能力が備わっているんじゃないかと。
じゃなかったら、見目麗しいクリスマスホーリーの実をずっと食べずに待ってるなんてできないはずだから。あるいはこの時期に食べることも計算ずくで移動していたとか?
一回クリスマスホーリーの実、食べてみようかしら。