神学校ライフまとめブログ

自然の中で学び伸びる。

性善説?性悪説?

 性善説 人間の本性は善であり仁・義を先天的に具有すると言う考え

性悪説 人間は欲望を持つためその本性は悪であるとする説

皆さんは人間って性善説性悪説、どちらだと思いますか?性善説性悪説、あるいは両方を伏せ持っている、人によって答えも考え方も違うかもしれません。

自分自身は性悪説というのがどこか受け入れ切れなくて、性善説じゃないか、あるいは善いところも悪いところもある存在が人間じゃないかくらいに思っていました。

佐藤優氏、神学者として、あるいは作家としてメディアに出ずっぱりの方は性悪説で言い育ってきたと言われていました。

曽野綾子女氏、作家として様々な提言をされている方もカトリックの学校で性悪説で教えられたと言います。

かと言って、人の数だけ結論、考え方があるものであり、絶対はないと思います。

自分自身は、教会の聖書を読む会で、創世記のノアの方舟のところから、今まで全く気づかなかった言葉に触れました。

「人のゆえに地を呪うことは、もう2度としない。人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ」

ここは、ノアが方舟に入り、大雨の後水が引き、再び地上に出た後のこと。ノアが祭壇を築いていけにえを捧げた後に、神が言われる言葉です。神は、ノアのささげものの香りを嗅いで、もう人のゆえに地を呪うことはしないと言われました。

そこで、言われるんです。「人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ」。

神様ですら、人は小さい時から悪がある、だからもう人が悪ばかり行なっているからと言って地を呪ったりしないと言われるんです。

言い方を変えれば、人間の悪にお手上げ状態、あきらめたって言われているんですね。この人間の悪に対して、神様はずっと先に、新しい対抗策を与えられるのですが、自分自身はここを読んで、性善説よりから性悪説に乗り替えちゃうくらい衝撃を受けました。

そして、ある意味、悪い状態であってもいいんだなって、思いました。

今まで、自分自身、あるいは他者に対して善を求めるような、でも悪が見え透いてくるような、そんな感じでした。でも神様が人間の悪を認めているなら、自分自身がそれ以上出過ぎたマネはできないなと思いました。

別のこととして、依存症の方について調べていて、どんな人が、どんな環境で起こるのかって少しずつ調べてるんですけど、依存症の方たちって概して真面目な人が多くて、いわゆる「いい子」だった人が多いのかなって思いました。

そして、自分自身がこのように「善」にいるのに、なぜ他の人は悪ばかりを送ってくるのだろう。辛い、裏切られた、孤立。そういった感情から依存性に入るような気がしています。

でももしそんな人が、神様は人の悪のことを認めて、なんなら諦めているなら、周りの人が善ではなく悪を返してくることについて、違った見方ができるのかなって思いました。

自分自身としても、浅はかながら自分自身の性善説を証明するために立ち回ることについても考えさせられました。生きていけば、年を重ねれば善に近づくのではないかとも考えましたが、自分自身としては悪が振り切れないのかもしれません。

人間について、いろいろな考えがあると思いますが、ひとつの自分自身が感じたことについて記載しました。