キリスト教新聞にそう書いてあった。それが問題。というより、ずっと問題にしてるけど、何も変わらない。
かと言って、クリスチャンの祈りのリストに、
牧師が歳を取るのを止めてくださいとか、1日100人ずつクリスチャンを増やしてくださいだなんて祈ってる人は、まずいない。
みんな現実に打ちのめされて、嘆いてばかりいる。
ニーバーの祈りに、こんな祈りがある。
神よ |
変えることのできるものについて、 |
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 |
変えることのできないものについては、 |
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 |
そして、 |
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 |
識別する知恵を与えたまえ。 |
私たちは祈りで変化を望むことと、もし祈ったとしても変えられないことを知っている。
牧師の高齢化や、信徒の減少は、それ自体変えられないことだ。それを変えようとしても仕方がない。むしろ、私たちができることを変えていかなくては。
本当に教会に人が増えることを望んでいるだろうか。変化が訪れることを、事態が好転することを望んでいるのだろうか。現状維持で今くらいでいいや、で終わっていないだろうか。
神のみ心はいつも善を求めている。
本当に事態が好転した時、それを受け入れられるだろうか。適応できるだろうか。ストレスが増えるだけかもしれない。
願ったことが叶ったことを求めて、今から望んだ通りになった時のために、準備しなくてはいけないことが、実はたくさんある。
咲き誇るツツジ。