神学校ライフまとめブログ

自然の中で学び伸びる。

変えられないことではなく、変えられることの変化を願う


 キリスト教新聞にそう書いてあった。それが問題。というより、ずっと問題にしてるけど、何も変わらない。

 

かと言って、クリスチャンの祈りのリストに、

牧師が歳を取るのを止めてくださいとか、1日100人ずつクリスチャンを増やしてくださいだなんて祈ってる人は、まずいない。

みんな現実に打ちのめされて、嘆いてばかりいる。

ニーバーの祈りに、こんな祈りがある。

神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


私たちは祈りで変化を望むことと、もし祈ったとしても変えられないことを知っている。

牧師の高齢化や、信徒の減少は、それ自体変えられないことだ。それを変えようとしても仕方がない。むしろ、私たちができることを変えていかなくては。
本当に教会に人が増えることを望んでいるだろうか。変化が訪れることを、事態が好転することを望んでいるのだろうか。現状維持で今くらいでいいや、で終わっていないだろうか。
神のみ心はいつも善を求めている。
今のこの状況において、日本のキリスト教界の善とは何だろうか。トマス・アクィナスの言葉を借りるなら「共通善」は何だろうか。
本当に事態が好転した時、それを受け入れられるだろうか。適応できるだろうか。ストレスが増えるだけかもしれない。
願ったことが叶ったことを求めて、今から望んだ通りになった時のために、準備しなくてはいけないことが、実はたくさんある。
 
咲き誇るツツジ