神学校ライフまとめブログ

自然の中で学び伸びる。

今蒔かれる平和の種、そしてこれから蒔かれていく種

世界の大都市といえば、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京などが挙げられるだろう。

それらの都市は、大規模な交通機関を兼ね備え、多くの人口を内外に有し、大規模な商業規模を誇り、文化・娯楽の中心地でもある。

一方、その他にも歴史的建造物で有名な街もあれば、娯楽で有名な街もあり、ものづくりで有名な街もある。どの街にも顔といえる場所があり、その魅力によって多くの人を惹きつけている街もある。

そのような中で、異色ともいえる「平和」を主題として世界的に有名な都市がある。一つはスイスのジュネーブである。

 スイスのジュネーブは、「平和の首都」と言われ、ジュネーブには現在、国連の欧州本部、世界保健機関(WHO)などの36の国際機関、約700の非政府組織(NGO)、179の政府代表部がある。

「国際都市ジュネーブ」はなぜスイスにとって重要なのか? - SWI swissinfo.chより。

なぜジュネーブは平和都市として機能してきたのか?1901年にアンリ・デュナンノーベル平和賞を受賞したのを記念したイベント「ジュネーブ:平和のための町」を企画したロジャー・デュランドさんは、「それはジュネーブが常に独立を保ってきた小さな町で、スーパーパワーに脅かされたことがないからだ。また、ジュネーブには昔から国際都市としての伝統がある。16世紀カルヴァンがこの地に居を定め、迫害された宗教改革者らを歓迎した時代から、ジュネーブには寛容と救済の伝統がある。」という。ジュネーブの国際平和と人道都市としての位置付けは、赤十字活動が始められ、ジュネーブ条約が締結された事で決定的となる。この条約で、人類史上初めて多くの国が戦時の残虐性を緩和する事に合意したのだった。

ジュネーブ:平和のための町 - SWI swissinfo.chより。

 

そして、日本にも平和都市とならざるを得なかった都市がある。それは、広島と長崎だ。

 

それは平和を記念するのではなく、怒りと悲しみと願いを伴って、戦争の悲惨さを証し、これ以上平和がおびやかされることを危惧する働きをしている。

世界的にも「国際平和文化都市」としても一定の影響力を持っており、広島市長の発案で創設された「平和首長会議」には150を超える国から4,600以上の自治体が加盟しているとのこと。

はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんは、原爆で家族を失われた怒りと恨みから、漫画を描きだした。原爆の責任を、徹底的に追及するために。

 

先日、8月6日の広島での宗教団体による慰霊行事に参加してきた。

 

 

8月6日は日曜日だったが、多くの人、日本人も世界中の様々な人たちが平和記念公園を訪れ、灯篭を川に流したり、平和の鐘を鳴らすために長蛇の列ができていた。まさに祭りのような雰囲気で、人が多すぎて前に進むのむずかしいくらいだった。被爆者や遺族が訪れ、祈りをささげる。また、いくらかの人は、確かにお祭り気分で来た人も、楽しみで来た人もいたかもしれない。

しかし、大多数の人は、心のどこかで平和を願いながらやってきたにちがいない。

 

 

なぜなら、同じことがまた起こることを望む人は、誰もいないからだ。

平和が脅かされていることを多くの人が恐れている。

私たちはただ論理だけを追って第三次世界大戦になるだとか、また同じことが起きるかもしれないということを空想するが、現実に同じことが起きることは、78年前に起こったことよりもさらに恐ろしいことになる。なぜなら、それは人が過去から学ぶことを放棄した結果だからだ。そして、それを推し進めた人達と対話を通して考えを共有できなかったからだ。

平和を維持することは努力を伴うが、失うことは容易い。平和というのは、放っておいて勝手に生えてくる雑草のようなものではなく、絶え間なく手入れをして、ようやく花を咲かせる薔薇のように、私たち自身が作り上げていくもの、保っていくものだと思う。

憎しみと強欲と怒りが戦争の種だとしたら、いかにして平和の種を蒔くことができるのか?ここで、最初のジュネーブの話に戻ろう。

ジュネーブには寛容と救済の伝統がある」。ジュネーブが平和都市として世界に座を置いたのは、測ることは難しいことではあるが、寛容と救済が市民の生活に根付いていたことが大きな要因であると考えられる。

簡単な言葉に置き換えると、「許すこと」と「助けること」。

平和のためには、自分一人が良ければ良しとせず、隣人を見る必要がある。

そして、人のために自分が働く必要がある。

私たちがすべての人にとっての「共通悪」に陥らないためには、「共通善」である隣人愛から平和の種を蒔いていく必要がある。それは難しいことでもあるし、すべての種から芽が出ないかもしれない。

それでも、私たちが生きている世界が、「とても良い世界だった」と言えるために、平和の種を蒔く義務が私たちには必ずあると思う。